copyright 2025 コアマガジン おわりにんげん
タイトル | Have a nice day. |
作者 | おわりにんげん |
掲載誌 | HOTMILK 2025.07 |
ページ数 | 32 |
ヒロイン | 侑希 |
竿役 | おじさん |
発射数 | 1 |
公式タグ | フェラ / ショートカット / 処女 / 巨乳 / 背徳・インモラル / 野外・露出 / 陰毛 |
修正 | モザイク修正 |
本日はHOTMILKから、おわりにんげん先生の作品をご紹介したい。当ブログはいつも好き勝手に書かせて頂いているのだが、今回は「おわりにんげん先生の作品を哲学的に解釈する」とXにて宣言しているため、エロ漫画としてのレビューは控えめになっている。なのに腰抜けで恐縮だが、私は哲学に関してまともな教育を受けていないので浅学な点はご容赦頂けると幸いだ。
イギリス経験論とデビッド・ヒューム
本稿ではおわりにんげん先生の作品をデビット・ヒューム(David Hume)の人間本性論の視点から考察したいと思う。ヒュームは1711年にスコットランドのエジンバラで生まれ、エジンバラ大学に進学。のち退学し哲学の研究に没頭する。1739年に「人間本性論」を発刊したがこの時点では注目されていなかった。しかし後にドイツのエマニュエル・カントやカール・ポパーに影響を与え、フランシス・ベーコンやトーマス・ホッブズらのイギリス経験論の提唱者の一人に数えられている。
ヒュームは帰納的推論と呼ばれる思考形式に異論を唱えている。「欲裏表愛」ランさんはエロい、「我が家では普通」ゆみかさんはエロい、だから「Have a nice day」のゆうきさんもエロいしホットミルクのヒロインは全てエロい、という具象から抽象に推論する方式だ。帰納的推論の前提になっているのは「均一性原理」つまり自然が今後も均一であり続けるという仮定である。ヒュームは均一性原理の根拠となる事象は自然がここまで均一だったこと、つまり結論を仮定している点において循環論法となり論証出来ていないと考えた。よって人間の帰納的推論は理性の帰結ではは無く自然本能によってのみ説明出来るとした。同様に、決定論的因果関係(これから起こること全ては、過去に起こったことから説明出来る)という考え方も、目の前の事象と先行事象の間の関係性を人間が証明することは出来ないため、不備のある考え方だとした。因果推論はあくまで人間の経験(信念)に依拠しており、信念の限りにおいて因果推論は成り立つと考えたのだ。同様に、道徳的な判断も理性では無く道徳的な感情を基礎としている。「純粋に記述的な事実の陳述からは倫理的または判断的な結論を推論することは出来ない」と彼の論証はヒュームの定理と呼ばれている。この議論に触発され、エマニュエル・カントは「数学的知識など経験・感覚から独立した先験的認識から、自明で無い総合的な判断を下すことは人間の理性に可能である」という反論を自著「純粋理性批判」にて述べた。この「一部の直観と概念は経験では無く純粋に精神によってもたらされる」というカントの批判が「コペルニクス的転回」と呼ばれるものだ。
スモーク・イン・ザ・フレーム
最新作「Have a nice day」に触れる前に、おわりにんげん先生の過去作品からこの考え方に触れてみたい。まず「スモーク・イン・ザ・フレーム」から。
copyright 2024 コアマガジン おわりにんげん
タイトル | スモーク・イン・ザ・フレーム |
作者 | おわりにんげん |
掲載誌 | HOTMILK 2024.12 |
ページ数 | 40 |
ヒロイン | 小川春奈 |
竿役 | 安達 |
発射数 | 3 |
公式タグ | フェラ / おもちゃ / パイパン / JD / 巨乳 / 恋愛 / 撮影・配信 / 淫乱 / 潮吹き / 陰毛 |
修正 | モザイク修正 |
本作は売れない女優だった小川春奈が、竿役の売れっ子カメラマン安達によって女優として花咲くというシンデレラストーリーである。自己肯定感も「撮られ慣れ」もしていない、タバコ屋の売り子なのにタバコを吸ったことも無い。そんな彼女に安達は撮影を通して持てる全てを教えようとした。理性的議論では無く経験で伝えようとするのが、おわりにんげん先生作品の中核である。春奈を一目見て二言三言話しただけで、安達の中に女優として画面映えする彼女の姿を推論した。そして彼の因果推論は成就した。問題はそれによって均一性原理が崩れたことにある。昨日の春奈から今日の春奈が、そして明日の春奈が安達には予想出来なくなった。出会った頃の、お節介をしたくなるような春奈はもう居ない。39ページ、安達さんのおかげで得た手柄を誇らしげに語る春奈は、無邪気に「じゃあ また」と言った。安達にはもう「また会ったときの春奈」が想像出来なくなっていた。そして春奈もまた、「ここまで自分に優しくしてくれた安達は明日も明後日も変わらず接してくれる」という帰納的推論の罠にはまっていたというところでオチとなる。
椿の秘めごと
続いてもう一作、こちらは失楽天から、「椿の秘めごと」をご紹介したい。
copyright 2025 ワニマガジン おわりにんげん
タイトル | 椿の秘めごと |
作者 | おわりにんげん |
掲載誌 | 失楽天 2025.04 |
ページ数 | 24 |
ヒロイン | 椿 |
竿役 | じろ |
発射数 | 1 |
公式タグ | アナル / フェラ / おもちゃ / パイパン / OL / 不倫・浮気 / 中出し / 淫乱 / 背徳・インモラル |
修正 | 白抜き修正 |
ヒロイン椿は「大手企業勤務30代手前にして管理職候補」のバリキャリ上玉。一方の竿役じろは「動画編集のバイトの傍ら裏アカのハメ撮りで小遣い稼ぎをして暮らす」椿とは正反対の生き様だと感じていた。性欲が強い豪語する椿は、じろのエロテクニックに期待し自ら対戦を希望した。「スモーク・イン・ザ・フレーム」と真逆で椿はすでに開発され尽くしており、セフレじろとの性欲解消に満足していた。一方でじろはそんな椿のことを哀れな女と見下す気持ちがあった。こんな爛れた性生活を送る三十路前の女に結婚は無理だろう、と。そんな本作の冒頭で、ピロートークで椿はじろに結婚話があることを伝えた。驚くじろに、だからこそ今のうちに「快楽だけのエッチ」を楽しみたいと椿は言った。「スモーク・イン・ザ・フレーム」と違い、二人は最初から最後まで変わらない関係を続けていた。均一性原理である。奇しくも本作においても先に気づくのは竿役だった。明日は別の男のモノになる女、それでいながら今日までは自分が好きにしていい女。ヒュームの定理どおり、道徳的な判断は道徳的な感情に任せるほか無い。じろにとっての道徳的最善は自らの経験に依拠する行為、つまり椿を精一杯イかせることだった。20ページ、最後のセックスの場面。「このキスに愛はない けど それでも」明日別れるじろの人生経験を懸けた道徳的善意なのだ。そして22ページ、またしてもヒロインは「明日のじろちゃんも頼めばヤってくれる」という帰納的推論の罠にハマり「でも万一そうなったら また よろしくね♡」と笑顔で別れの挨拶をする。登場人物はみな経験を経て、経験によって昨日までとは違う自分になってゆく。
Have a nice day
改めて表題の「Have a nice day」を見ていこう。竿役は名前が分からないため「おじさん」と呼称する。混んでいる居酒屋で相席を求められたおじさんは、ヒロイン侑希さんと同席する。そんな侑希から開口一番「ホテル行きませんか?」と誘われたところから本作は始まる。呆気にとられたおじさんは理由を問いて回り、侑希がライブハウスの音響スタッフを「なんもなかったから辞めた」という地雷を引き出してしまった。おじさんは自らの経験から、「まだ若いんだからなんでも好きなことやんなよ」「若い男捕まえられるのも今のうちだよ」と図らずもさらに追い打ちをかけた。図星を全て射貫かれ席を立つ侑希。悪気の無かったおじさんも慌てて追いかけた。
おじさんから過去を整理する。おじさんは指輪の跡が消えていないほど最近離婚を経験していた。元嫁には「デリカシーの無さ」を詰られていたようだ。この経験が枷となって女性に対して性欲を出さない、回避的な思考に陥っていた。対して侑希は、ライブハウスの年配の店長に惚れ込み想いを打ち明けた。しかし「もっと若い子と付き合いな」と振られてしまった。真意は分からないが表面的には「ガキだから」という理由だった。互いの苦い経験が相手と重なり合い、相手への期待と興味が生まれた。深夜の公園のベンチ、侑希はおじさんに身体を預けた。帰納的推論から不安定な未知への逸脱。店長はおじさんと似てない、でも年は同じくらいでタバコの銘柄も同じ。そして結婚指輪の跡。侑希はヒュームの哲学通りに五感で経験を重ねて自然本能に身を任せた。
Je pense, donc je suis
一方でおじさんはイギリス観念論と対を成す大陸合理主義的アプローチで侑希に本能ではなく言葉で迫った。「我思う、故に我あり」という言葉で有名なルネ・デカルトは、心身二元論を唱え知的世界にある精神と物質世界にある肉体を分けて演繹的に思考することを第一義とした。一方でデカルトはボヘミアのエリザベート王女からとの往復書簡をまとめ「情念論」としてまとめた。理性によって制御される人間にとっての情動を「驚嘆、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ」の6分類に分け、肉体と統合された全体像を解析的にまとめている。なおデカルトは生涯未婚だが女中との間に娘をもうけたものの僅か5歳での死別を経験している。「あれすんなり入った 大丈夫?」「え?締まった もしかして興奮した?」「エッチって言われて嬉しいんだ?」スタミナに難のあるおじさんは言葉の力で侑希との間を埋めようとした。しかし端から見てもオッサン臭い言葉責めに辟易した侑希によって唇を塞がれる。「もったいないよおじさん 黙ってりゃいい男なのに だから奥さん逃げたんだよ」。ヒュームよりデカルトよりも前、古代アリストテレスは弁論術の3要素として「ロゴス(論理)」、「パトス(感情)」そして「エトス(信頼性)」を挙げた。そしてエトスには「思慮」「徳」そして「好意」の3要素で形成されると説いた。27ページ、言葉によるロゴス、涙と触れ合いによるパトスから、「…いいよ 好きになっても」エトスが共有された瞬間だ。
すごくよかったから 終わりにしたいの
「理性は感情の奴隷である」、ヒュームの言葉である。「どうなっても知らないからね」と言ったおじさんは、当然の帰結として侑希を家に誘った。しかし侑希はこの誘いを拒絶した。おじさんの感情は当然納得が出来なかった。この流れに何の問題があったというのか問いただした。これに対して侑希は「だからだよ」「すごくよかったから 終わりにしたいの」と答えた。店長の言葉によって帰納的推論の罠に捕らわれていた侑希は、人のいいおじさんとのアオカンという背徳的経験、主観的自己と客観的道徳という相克を経て、誰にも犯されない等身大の自分を大事にするという精神にたどり着いた。ドイツ観念論の大成者であるフリードリヒ・ヘーゲルの弁証法における「止揚(アウフヘーベン)」と言えるだろうか。タバコを口にしたおじさんもまた、彼女の「悟り」を受け入れた。「不決断以外に深く後悔させるものは無い」デカルトの言葉である。朝焼けの公園、最後に侑希の「じゃ良い1日を」Have a nice dayで本作はオチとなる。
断っておくが、本作を理解するのになにもここまで哲学の用語を必要とするわけでは無い。おわりにんげん先生ご自身からのリクエストもあり、先生の作品に横たわる哲学を自分なりにまとめてみたのが本稿だ。ヒューム的な帰納的経験主義がおわりにんげん先生の作品の基礎にあり、表題作はヒロイン・竿役それぞれの経験の相互作用からさらに高次の観念へと進んだと私は読んだ。エロ漫画的にはこれらは時としてノイズであり、棘ともなり得る。それでもなおエロ漫画がセックスという人類の深遠に踏み込むものである以上、哲学としての省察はいつか避けては通れない道だとも思う。私はこれ以上の言葉を持たないので、さらなる有識者の解釈に期待したい。
うさんくせえこと言いやがると最後までお付き合い頂いた貴方へ、令和に復活した剣勇伝説YAIBAの旧エンディング曲で締めさせていただきたい。私もこんな気分である。
本稿で紹介したおわりにんげん先生の作品はこちら!!

330円
本稿で紹介したおわりにんげん先生以外の作品はこちら!!
※文芸・ラノベカテゴリだそうです 言うほどか?

440円

440円
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