copyright 2024 ワニマガジン スミヤ
タイトル | 集合住宅のジュリエット |
作者 | スミヤ |
掲載誌 | 快楽天 2024.10 |
ページ数 | 30 |
ヒロイン | 星名ジュリ |
竿役 | 静哉 |
発射数 | 3 |
公式タグ | おさげ / パイパン / 制服 / 学生 / 恋愛 / 金髪・茶髪 |
修正 | 白抜き修正 |
引き続き快楽天から、スミヤ先生の作品をご紹介したい。
自分語り
当ブログを始めるきっかけとなる原体験について話したい。田中ユタカ先生の「ギャツビー・セレナーデ」という作品だった。「月とさくらんぼ」という単行本に収録されているが原典はもう思い出せない。ヒロインは菜見、竿役は相澤浩希という少年だ。田中ユタカ先生はジュベナイルな初体験を描くことに定評があり、その後は「愛人」「笑うあげは」など一般紙でも攻めた作品を出されている。相澤少年が夜這いする話なので、セレナーデ(小夜曲)なのは分かる。ギャツビーが分からない。当時は便利なインターネット検索もなく、英語教師(おばちゃん)に聞きに行って辞典まで引いた。結論として1925年刊行のフィッツジェラルド作の小説「偉大なるギャツビー」(The Great Gatsby)の登場人物ギャツビーにかけたのではないかという結論になった。小説内でのギャツビーは来歴不明の金持ちで、最後には撃たれて死ぬ男である。少なくとも自分の中では相澤浩希とジェイ・ギャツビーは交わらなかった。今もってタイトルの意図は不明である。それでも当時の自分にとって、エロ漫画からアメリカの古典小説へと繋がったことに数奇な興奮を感じていた。これはエロ漫画に限った事では無いのだが、エロ漫画以外がソースであればいくらでも考察勢やまとめサイトがあるだろう。次から次へと流れゆくエロ漫画だが、描かれている先生方は毎回頭をひねり趣向を凝らしてオリジナル作品としての設定を盛り込んでいる。意図している部分かはともかく、私なりに各作品から学びを得て、それぞれ唯一無二の作品としての解説を遺したいという思いで書かせて頂いている。毎回作品から逸脱して無駄知識を書き綴っているのはそういう意図がある。ご理解を頂ければ幸いだ。
元ネタあらすじ
本作タイトルはもちろんかの有名なシェイクスピア「ロミオとジュリエット」から取られているのだろう。二人は相思相愛なのだが、四大悲劇と並び称されるこちらは二人ともが死に別れる物語である。僭越ながらあらすじを書かせて頂こう。ロミオ側のモンタギュー家とジュリエット側のキャピュレット家の仲が悪いところが騒動その1である。なんやかんやでロミオとジュリエットは恋仲になり、修道僧ロレンスの計らいで内緒で結婚式まで挙げてしまう。ここまでは問題無いのだが、ロミオは友達を殺され、その犯人であるキャピュレット家の人間を自ら殺してしまう。この騒動その2によってロミオは逃亡生活を余儀なくされる。ジュリエットは政略結婚を命じられ、回避するべくロレンスに相談する。ロレンスは「この仮死状態になる薬を飲んで、埋葬されてからロミオと駆け落ちしろ」というトンデモなプランを提案し、ジュリエットは政略結婚の前夜に狂言自殺する。この薬は実際に機能したのだが、ロレンス一世一代の失策により誰あろうロミオにこのトンデモプランが伝わっていなかった。ジュリエットが死んだと誤認したロミオはその場でマジモンの毒をあおって後を追ってしまう。予定通り生き返ったジュリエットは、目の前で死んでいるロミオを見て全てに絶望し、ロミオの持っていた短剣で自害する。この経緯を知った両家は以後和解したという。悲しいというよりはネタのようなネタ話である。本作でも再現されているかの有名なバルコニー越しの一幕は、キャピュレット家の舞踏会の後の一幕、上記傍線の「なんだかんだ」の部分である。ちなみにこの元ネタとされるバルコニーはイタリアのヴェローナにある。こちらだそうだ。
My only love sprung from my only hate!
本作は特に家同士の揉め事が生じたり死人が出たりはしない。ジュリと静哉の片親同士が結婚するという話だ。「突然年頃の姉妹が出来る」という展開はエロ漫画定番である。法的にはともかく血縁のない「攻略可能」な異性と一つ屋根の下で暮らせるという男子の夢そのものと言って良い。現実に連れ子同士の再婚と言うのがどれくらい起きるものなのかは正直分からない。フィクションではよく見かけるが、必然的にギスギスしたところから始まる物語が多い。対して本作の子供同士は初対面であるにもかかわらず非常に仲が良い。過去の経緯は分からないが、少なくとも冒頭時点で母一人娘一人の家庭にいきなり兄が出来たにもかかわらずジュリさんは好意的だ。静哉は先天的にメラニン色素が薄いアルビノ、ジュリさんはハーフであることが示唆されている。このへんでお互い好奇の目で見られる者同士のシンパシーがあったのかもしれない。5ページ、誕生月から「静哉が兄さん」だという所から二人は2か月違いの同い年だと分かる。6ページ、親同士が出かけて二人きりというエロ漫画恒例の場面が訪れるのだが、この時点では手を出していない。7ページの描写で、ジュリの手を握れない兄としての静哉の逡巡が描かれている。一転、8ページで親同士が破局する。「ロミオとジュリエット」は家同士が仲たがいしていることで結ばれない物語だが、本作は皮肉にも両親の破局で二人は兄妹という枷から解き放たれた。一方で、必然的に同居は解消され、いきおい星名家は近所の集合住宅から遠くに引っ越すことになった。いたたまれなくなった静哉はジュリの部屋を見上げる。2階のベランダに居たジュリは静哉に手を伸ばす。別に意図があったサインでは無かったが、静哉は差し伸べられた手を掴もうとベランダをよじ登る。ジュリも引っ張り上げ母親のいる家に連れ込んだ。親が外出し二人きりの「他人」。もう枷は無かった。「ずっとこうしたかった」どちらのセリフかは分からないが、二人の願いが叶った。ベランダから室内へ、暴発した静哉を引き留めてさらに重なり求め合う。
Singing in the veranda
事後、引き裂かれた二人だが何ともなかったように再会を果たす。奇しくもジュリの転居先もまた集合住宅の2階だった。ベランダ越しに見つめ合う二人。なんと見開きである。komifloの通常作品でページ跨ぎの大コマはほとんど見かけない。まして見開き1枚絵というのは壮観だ。上記の通り元ネタのバルコニー越しのくだりは馴れ初めの時期なのだが、こちらは結ばれてからである。これは嬉しい不意打ちだ。なお本作は静哉目線なので、ジュリさんは誰来るとも分からないベランダで想い人を2回も(馴れ初めも含めれば3回)待っていたのだ。元ネタもジュリエットはバルコニーに向かって思いのたけを呟く。本作もジュリさん目線だとベランダ越しに静哉への想いを口ずさんでいたのだろう。同じく名作ミュージカル映画「雨に唄えば」を下敷きにしたスミヤ先生「In the rain」(Bitches plan収録)のラストでヒロインのセラちゃんが英語で雨宮くんに告げた歌詞を思い出した。
[原曲]
So dark up above
The sun’s in my heart
And I’m ready for love
For love
[作中の意訳]
この雨の中でも-
私の心は燃え上がった太陽のようで
恋の準備は万全だよ♪
未来に残ってほしい、美しい作品だった。
本作の単話販売はこちら!!
330円
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