仏の道をゼロスから [石見やそや] 無理すんなババア (X-EROS #103)

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copyright 2023 ワニマガジン 石見やそや

タイトル 無理すんなババア
作者 石見やそや
掲載誌 X-EROS #103
ページ数 26
ヒロイン 貴島華(店長)
竿役 お前
エロページ位置(割合) 9 – 25 (65.4%)
発射数 7
公式タグ フェラ / コスチューム / ツインテール / 中出し / 先輩・上司 / お姉さん / 恋愛 / 淫乱 / 潮吹き / 羞恥 / 陰毛
修正 白抜き修正

前作「死にたGirl」で大変にはっちゃけた石見やそや先生の新作。本作によって私が得た「悟り」をぜひ伝授させて頂きたい。なお本作を読んで下記の着想を得た翌日から39度超えの高熱を出し(コロナ陰性)書き出すまでに2日かかっている。完全にバチが当たったと思っているが構わず書かせていただく。

悟りへの道 – 四法印

仏教における根本の思想を表したものとして「四法印」というものがある。Wikipediaから引用する。

  1. 諸行無常(しょぎょうむじょう) – すべての物事は常ならざるものである
  2. 諸法無我(しょほうむが) – すべての物事は我ならざるものである
  3. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) – 涅槃は安らぎの境地である
  4. 一切皆苦(いっさいかいく) – この世の全ては苦しみである

このうち「一切皆苦」を除いた1から3までを「三宝印」と呼ぶ。仏教の経典は集約されておらず日本には中国語訳されて入っているため表現に多少の違いはあるが、根本思想として宗派を問わず伝教される概念である。なお「三宝」というのは思想ではなく、仏教徒が大事にすべきものとして「仏法僧」のことを指す。

セーラー未亡人(32)

まず物語の前提を整理したい。本作のヒロインBBAこと貴島華は、中華料理屋の店長として働いている。店はもともと旦那のものだったのだが、既に亡くなっている。華には料理の腕があり自ら中華鍋を振るっているが、手が足らないのか本作竿役の店員くん(名前不明)がホールを回している。事件はおそらくハロウィン当日の夜、街行く人がみな仮装している日の閉店後に起こる。とある女性客がコスプレ衣装を大量に忘れていったのを店員が発見するが、忙しい中なのでバックヤードで保管したまま営業を続けていた。閉店後、店員が何らかの忘れ物を取りに戻り、店長が忘れ物であるミニスカセーラー服コスを勝手に着て跳ね回っているのを目撃してしまう。本作の店長は後に32歳とカミングアウトするのだが、バイタリティに溢れ全くババア感は無い。しかしアラフォー以上に年齢を気にするお年頃である。店ごと灰にする勢いで取り乱すが、店員側も躍起になって本心からフォローに回る。その本心「明らか無理してるキッツいコスプレ姿大好き」というのが本作の全てなのだが、私は非常によく分かる。福田晋一先生「その着せ替え人形は恋をする」(着せ恋)という作品に私が今ひとつ乗っかれなかったのも、長身読モJKなど何着たって似合うに決まっているからだ。「コスプレ感」という言葉があるほどに、若干違和感があるぐらいが丁度いいのだ。この感覚に同意いただける方は、エロではないが佐藤両々先生「崖っぷち天使マジカルハンナちゃん」という作品も気に入っていただけると思う。

諸行無常、諸法無我

本題に入る。四法印の中で「諸行無常」という概念は最も馴染みがあるだろう。平家物語でお馴染みの祇園精舎のアレである。「変わらないものなど無い」という仏教を仏教たらしめる根本概念だ。本作の華さんは32歳という「若さ」で夫を失い、それでもなお託された店を切り盛りしている。そしてハロウィンというおおよそ中華料理屋に縁のないイベントによって、一回りほど違うであろう年下の店員とデキてしまう。まさに諸行無常である。「諸法無我」というのは少し難しい。ざっくり説明すると、すべての存在はそれ単独ではなく、周囲の存在との関係性(因縁)で出来ているという概念だ。自分は自分が思っているような自分ではなく「変えられない自分」など存在しない。そう、アラサーBBAがスモッグを着てはいけない理由など無いのだ。コスチュームというのは関係性の抽象化であり、コスプレによって人は「自分」から離れることが出来る。「中華料理屋のエプロン」を脱いでセーラー服を着ていてもなお、華さんのことを店長と呼んで良いし、「きじまはな、さんじゅうにさい♡」と名乗っても良いのだ。

一切皆苦、生老病死

続いて「一切皆苦」だが、ここで言う「苦」は全部で8種類ある。順に説明しよう。このうち4つは一纏めに「生老病死」と呼ばれる。生まれることも苦しみと規定するところが反出生主義に通ずるところもあるが、苦しみを理解し受け入れるのが仏教の要請である(四諦八正道で検索)。本作のコスプレショーは、キョンシー(=死体)から始まり、幼稚園スモッグ「遡った」上で、再度エッチしながらキョンシーに戻る。華さんはヒラヒラした可愛いコスが好きなのだがそこに年甲斐というコンプレックスを感じている。若作りする苦しみ、その裏返しである加齢への苦しみ、うさ吉やマジカルパワーホワルルルーンに感じる「イタさ」の苦しみ、そしてキョンシーが表すの苦しみ。本作のコスプレショーは華さんが生老病死の苦しみを認識し乗り越えてゆく過程の抽象表現と読み解ける。

四苦八苦、そして涅槃寂静

一切皆苦はあと4つあり、生老病死と合わせて「四苦八苦」と呼ぶ。まず「愛別離苦(あいべつりく)」、愛する人といつか別れの時が来るという苦しみを指す。これは未亡人である華さんが既に乗り越えたものだ。続いて「怨憎会苦(おんぞうえく)」、生きている限り嫌な人との出会いは避けられないという苦しみを指す。本作の竿役は所々漏れているつぶやきからも若干性根の悪さとS性が出ており、セックスしながらも喧嘩腰である。でもそれを受け入れて先に進んだからこそ幸せを見つけることが出来たのだ。そして「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」、これも五蘊の解釈が難しいのだが、エロ漫画的には分かりやすい。ざっくり言うと五蘊とは感覚や思考のことで、それが盛んすぎる苦しみ。つまりクリムゾンガールズ的な「悔しいけど感じちゃう」の世界である。華さんはこれらの苦しみについて最初はためらい拒絶していたのだが、自分の愛した旦那を、自分を慕う年下の店員を、性欲を、そして32歳の自分を見つめ直し、受け入れることにより、二人はコスプレを解き放って、穏やかな満たされた朝を迎えることが出来た。「安易に言葉にしようとするな」「黙って抱きしめろ」これぞまさに煩悩の先にある、「涅槃寂静」の境地である。涅槃寂静こそ仏教における悟りそのものであり、本作は満願成就した、かに見えた

コンプリート未達成

一切皆苦というときの四苦八苦にはあと一つ残っている。「求不得苦(ぐふとっく)」、全ての物を手に入れることは出来ないという苦しみだ。朝のまどろみの中、一人の女性が店を訪ねてきた。「昨日、コスプレ衣装忘れてなかったですかー!?」そう、コスプレを解き放ったとしても、二人にとってコスプレはもう不要だったとしても、人のものは返す必要がある。店長は起き上がり、コスプレ代を働いて返そうと立ち上がる。涅槃の境地にはまだ少しかかりそうである。合掌。

あらすじ

ハロウィンの夜、中華料理屋の店員(主人公)はいつものように店長にコキ使われていた。閉店後、忘れ物を取りに戻った店員が見たものは、客が忘れていったセーラー服を着る店長の姿だった。32歳のコスプレ姿を見られた店長は死ぬほど取り乱すが、店員の必死のフォローによって結果的に夜のコスプレショーが始まる。

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