copyright 2026 ワニマガジン へのえの
| タイトル | 人間は、理性に基づいて規範を形成し、行動する。 |
| 作者 | へのえの |
| 掲載誌 | ゼロス #136 |
| ページ数 | 28 |
| ヒロイン | 妻 |
| 竿役 | 夫 |
| 発射数 | 3 |
| 公式タグ | 中出し / カップル・夫婦 / 淫乱 / 陰毛 |
| 修正 | 白抜き修正 |
周回遅れの更新で申し訳ない。やっと書き切れたので本日はゼロス先月号から、へのえの先生の作品をご紹介したい。
何のために?
お察しいただけていると思うが、私は解析的な思考を好む派である。ゆえに、へのえの先生作品は大好物だ。「ついでセックス」と勝手に称している、必ずしもエロくない何か別のものとセックスが一緒くたに語られる展開がエロを引き立ててくれる。本作はこの「何か」のところにもセックスが代入されるというトートロジカルな構図になっている。ご承知の通り、性交というのは有性生殖を目的とした行為である。しかし「食事」という行為が「栄養の補給」以上の意味と問題を帯びているのと同じく、現代おこなわれているセックスのほとんどは生殖を必ずしも目的としていない。それどころか生殖をしないようにセックスをする仕組みさえある。「射精」と置き換えるとさらに目的から乖離してゆく。確認するまでもなく、妊娠可能な生身の女性が居ない状態での射精の方が遥かに多い。
契約結婚
本作もへのえの先生過去作に倣い登場人物に名前が無いため、「妻」「夫」と呼称する。この二人は「恋愛を経て結婚した訳では無」く、「世間体や控除のため生活費を安く計上出来るという打算ありきの それぞれの合理的思考に基づいた夫婦」であるらしい。女性向けコンテンツで大流行りの「契約結婚」だ。しかし実は共働きの場合、契約結婚において税制上のメリットはほぼ無い。片方の収入が低い状態では「扶養控除」が発生するため所得税が下がる。しかしどちらもフルタイムワーカーであれば単純に支出の非効率(住宅が一つで済むなど)が減るだけであり、合理的に言えば同棲するだけでよく結婚という制度に乗る必要はない。二人は「世間体」も気にしているのだが、これは令和日本において結婚の合理的な理由として薄いような気もする。さておき、合理的な打算で結婚した二人は「セックス」の必要性について元々否定的であった。何故かはよくわからない。まず二人とも未経験というわけではないことが後に明かされる。別なパートナーと体験したうえで、この行為は結婚という枠組みの中で両者とも不要と判断したわけだ。しかし結婚生活を続けるにあたって、これまたなぜか「既婚者トークで性経験が無いのは不自然」という「世間体」により、やってみる事にしたというのが本作1ページの導入である。そして2ページ、二人はどハマりしたというところから本作は始まる。
提議
ハッキリ言おう。良かったんならヤればいい。それが合理的結論だ。しかし本作の二人はここでモニョる。「繰り返すメリットは皆無」だと少なくとも妻は考えたのだ。食洗機が仕事をしているさなか、妻から「提議」が発出された。「提議とは結婚時に決めたルールであり 問題が起きたときにホワイトボードを使い理性的に話し合いを行うことである」と説明が入った。「発言は挙手制」とあるが議長指名は無いため単に仏陀スタイルトークである。夫婦間の話し合いにホワイトボードを使うこと自体極めて稀だと思うが、本作の描写から脚付きの可動式だと思われる。サイズにもよるが概ね2万円弱である。値段より置き場所が理性的に心配だ。

事例性と疾病性
大事なことなので繰り返す。良かったんならヤればいい!! しかし二人は「セックスが気持ちよかったので日常生活に支障が出ている」という点に着目する。精神医学の分野での「事例性(caseness)」と「疾病性(illness)」という観点によると、依存症や統合失調症など精神障害(疾病性)があったとしても実家が十分に太いなど働かなくても当人が暮らせるのであれば社会的には問題にならない。逆に精神障害の基準を満たさない場合でも生活に支障が出ている(事例性)のであれば対処する必要がある。彼らは事例性にのみ注目することでセックス自体への話題を避けつつ再戦することにセイコウする。しかも3回戦。しかし未だ「仕事に支障が出る」らしく再びホワイトボードが飛び出す。ここで二人の出した結論は「セックスの快楽をさらに要素分解し、要素毎の代替案が無いか検討する」というものだ。
昇華
中高生時代に(物理化学の時間以外で)「昇華」というワードをお聞きになったことはあるだろうか。またぞろ出所はフロイトの精神分析理論である。この世には解決出来ない、もしくは解決することが社会的に許容出来ない悩み事がある。解決出来ないお悩みを抱え続けると人は病み疲れてしまうため何とか誤魔化す必要がある。これを防衛機制(defence mechanism)と呼び、「否認」「投影」「行動化」「理想化」「解離」「合理化」「抑圧」など様々に分類されている。このうち「反社会的な欲求をより高度かつ社会性のある目的に置き換え、その実現をもって自己充足する」ことを昇華と呼ぶ。中高生に対する「反社会的な欲求」は性欲と実質同義であり、上手いことそれを芸術やスポーツに打ち込むことで解消しろという一種のスローガンである。誰でも出来るとも、狙って出来るとも言っていない。食欲や睡眠欲の充足量は人それぞれであり、断食・徹夜が与えるダメージへの耐性にも大きな個人差がある。昇華出来たと主張する人が本当に禁欲に苦労していたかも、ぶっちゃけ禁欲していたのかどうかも分からない。ともかく本作の二人は性欲自体を要素分解して、部分的に「昇華」させようという方法を模索する。もちろん上手くいかないのだが。
そして二人は永遠に
もとい。上手くいかないのは「昇華」であって、他のへのえのキャラと同様に彼らの探究心は極めて強い。殆どの男性は基本的に性器をいじくり回すことを善と見なしているため、夫くんも妻の股間に注目する。一方で殆どの女性は自分他人問わず性器を観察したことが無い。自分でよく見えない恥部を伴侶に見られ触られる事に大きな羞恥心が生まれ、これが妻ちゃんを快楽へと導く。エロ漫画は幸か不幸か実社会と逆で、陰毛は勝手には生えない。作者の意図にかかわらず男女とも無毛であることはよくある。本作は珍しくも「竿役の方が意図して脱毛している」と明言がある(妻にはある)。毛は肌触覚の延長であり、毛によるノイズの無い身体接触は気持ち良い。全部気持ちいい。ヤリきった二人は「逆にセックスで気持ちよくない部分を探そう」と食い下がってみる。これは悪手で、二人はますます敏感になってゆく。探求の過程で二人は生ハメを覚え、中出しを知った。事後、その合理的帰結として多くの子宝に恵まれたというオチである。
Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
本作タイトル「人間は、理性に基づいて規範を形成し、行動する。」を検索すると、検索トップにはへのえの先生の作品が登場する。これは明快にグーグルお墨付きのへのえの先生による箴言である。それはそれとして、最後にイマヌエル・カントの定言命法の話をしたい。デビッド・ヒュームに代表されるイギリス経験論では、事実と規範は別の概念であり規範は感情的経験に立脚すると考える。つまり規範は突き詰めれば人それぞれだという。対して大陸合理論のルネ・デカルトは「我思う、故に我あり」という言葉の通り、理性的思考は人それぞれではなく共通理解たりえると説く。その後継と言えるドイツ観念論の大家であるカントは普遍的な行為原理(格率)が存在するという。つまり、「仮言命法」=何かの条件のもとに形成される行為原理(健康のために運動するべき)だけではなく、「定言命法」=無条件に誰にでも適用される行為原理 – 人を傷つけるな、約束は守れ等 – が存在する。「金のために働こう」というのは仮言命法であるため、大金持ちは働く必要が無いことになる。しかし「約束は守れ」という定言命法は、金持ちも貴族も誰にでも適用されるべき行為原理だということだ。これが「規範」である。規範に基づく全ての人間は、まさにその規範の示すとおり互いに人間性を無条件に尊重されるべきであり、同時に規範の範囲内で自由に行動出来るべきであるとカントは主張する。これが人権思想の基礎であり、インフォームドコンセント(患者が受ける治療について患者は知らされ自ら判断する権利がある)などの源泉となっている。
以上がへのえの先生から投じられた本作の哲学的背景だと受け止めている。そして性規範は人類文明と共にあり未だに定まらない難題でもある。性暴力・年少者との性交・近親相姦など理性と本能の間に深刻な溝があるわけだが、誰もが受け入れる定言命法が存在するとは言いがたい。理性的洞察には思考実験が欠かせない。本能と理性から規範への架け橋、それがエロ漫画の使命であろう。並びにそうして形成された規範によって犯罪行動を起こさないことが我々読者の責務である。





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